フェアトレードショップTeebomにご来店くださり、誠にありがとうございます。TeebomのECサイトの管理責任者をしております、イマイナホコです。

毎日、静岡市葵区の駿府城公園の東側にある実店舗でお客さま対応したり、ネットショッピングでお買い物をしてくださったお客さまの商品発送などを行っております。

Teebomは2010年7月に開店しました、フェアトレード商品の専門店です。フェアトレードについては、誰よりも熱く語れると自負していますが、その思いは、28歳の時から2年間、青年海外協力隊としてスリランカに滞在し、経験したことが礎となっています。

JICAの青年海外協力隊のボランティアとして、スリランカの農村に派遣された私は、村の女性たちにパッチワークを教え、それを商品化して販売をする”Small Income Generation Project”を始めました。

2週間に一度商品を卸しに、村からスリランカ最大の商業都市コロンボまで行商をしていましたが、始めて半年ほど経ったある日、私たちの商品を買い入れてくれていた商店の店主からたった一言「もういらないよ」と言われ、状況は一転してしまいました。あまりに突然だったので、茫然としている私に村のお母さんが言いました。

ミス(私のこと)、見てごらん。お店の中にあるもの は皆私たちが作ったもののコピーだよ」

「えええええ~~~!!!!!!」

店の中を見回すと、これまで私たちが作ったものと、とても似た商品がずらーっと大量にディスプレイされていました・・・違うのはパッチワークのキルトの部分。そのお店で作った物はミシン縫いでした。私たちに資本金などなく、自分たちの周りにあるものだけで商品を作っていましたので、とても大量生産はできませんでした。

さらに、価値観の違いからかスリランカでは手縫いよりもミシンなどで作ったものが高く売れましたので、私たちの商品は売れなくなってしまいました。それでも手縫いでもちゃんと売れるキルティングをしたりと工夫をし、私の任期中の2年間は活動を継続することができました。

ところが、私が帰国した後は状況は一変しました。

当時は日本人の私が村のお母さんたちといっしょに活動していたので、よい条件で商品を買ってもらったり、店主と対等に交渉できていたのです。でも、私がいなくなったら、「買いたたき」が始まり、最終的には、卸した商品の代金すら払ってもらえなくなってしまいました。
その後、当時勤めていた会社がスリランカで事業をすることになり、そのメンバーとして、再度スリランカに滞在していた私は、その状況を解決するための方法が分からず、当面は、村の女性たちが作ったものを私が買い取り、知人たちにあげたり、買ってもらっていました。

結局、根本的な問題解決をすることができず、村の女性たちの「行商」は終わってしまいました。

それからもずっとOLを続け、結局スリランカには通算10年、ミャンマーやサモアにも滞在しながらも、スリランカで経験したことが心の中にあり、その解決策となるであろう「フェアトレード」を学ぶためにオーストラリアのシドニー大学大学院に留学をしました。

シドニーでは社会企業について主に学び、修士論文ではもちろんフェアトレードについて書きました。それは私の現在の仕事のベースになっています。

 
お店を始めるときに、20年は続けようと計画しました。じっくりと生産者を向き合い、お互いを信頼できるパートナーとして尊重しあいながら、日本の消費者の皆さんに喜んでもらえるお品作りをしたいと日々がんばっています。

現在、Teebomのお店の仕事と平行して、

静岡でフェアトレードを広めるための活動フェアトレード・コミュニティトレードFしずおかの副代表、認定非営利活動法人カレーズの会の理事としてアフガニスタンの復興支援、国立大学法人静岡大学の非常勤講師としてNPO論、フードガバナンスを担当しながら、日本の若者にフェアトレードの認知や理解を広め、また途上国での状況を伝え、関心を持ってもらえる活動を行っています。

フェアトレードの商品や生産者情報に加え、お店のことや日々のあれこれなどブログやメルマガ等で発信していきますので、お読みいただけましたらうれしいです。

Imai Nahoko